タクシーの中でふと時計を見ると自分が思っている時間より明らかに遅れている。どうやら電池がなくなったのかな?と思ってその日は若干不便な思いをしながら過ごすことになった。
数日後某電気店に時計の電池交換に行ってみた。ところが「どうやら故障しているみたいですね修理しますか?」と言われてしまった。修理しないわけにも行かないのでそのまま預けてきた。
この時計は6年ほど前にオランダに出張したときに買ってきたもので、どうやらスイス製だ(安かったんだが)。
また数日後、「あの~、申し訳ないのですがこの時計は当店では修理できませんが…」という連絡が入った。こりゃ困ったな。
と言うことでただいまこの時計を修理してくれるところを探してはいるのだが…、どうなりますやら。
最近修理するより新しく買う方が安くて速い時代になりつつあるが、せめて大事にしているものくらい長く使いたいものだなと思った。
壊れるときはいつも突然Ⅱ
トラックバック(0)
トラックバックURL: http://www.argv.org/~seiken/mt5/bin/mt-tb.cgi/15

逆の発想。物は大事にしない。使い捨てOK。
でもそれが 伝統・文化の乱れるもと。
性能とか寸法とかに出てこない愛着という価値をもっと考えて欲しいですね。買ったほうが安いとよく聞くけど、それでもいいからと修理してもらうと意外と安かったりする。店員さんの言葉も鵜呑み出来ないことがある。
製品はだれかが作ったもので、その人を思いながら使って行きたいなと思うのですよね。
そう言いながら、きっと使わないだろうなと思うものも確実にあったりはします。無線LANのカードが余ってしまったのですが、今時のノートパソコンは内蔵しているので、もう使うこともないだろうな、と。
新しいものが良いという価値観はコンピュータ関連でもっとも顕著に表れますね。コンピュータは買ったその瞬間から価値が落ちていきます。そこに時間がたっても変化しない価値がないからかもしれません。心して買わねばと思いますね。
あ~、粗大ゴミがtくさんだ。