電線病

コンピュータを仕事にしていたり趣味にしている人はあまりこの病気にはかからない。「Connected症候群」という別の病気があるがこの電線病にはあまりかからないようだ。

ところが、ミュージシャン・オーディオ関連の仕事をしてる人・音楽が趣味な人やオーディオが趣味な人は電線病にかかってしまうことがある。特に趣味なひとは危ない。一度かかってしまうと治癒するのはこんなんで、多額の治療費がかかることも珍しくない。

症状はいたって簡単で、電線をオーディオショップで買い続けてしまうことだ。最初は千円くらいから始まる。そのうち5千円になり1万円になる。重傷者は数十万円もする電線を買ってしまう。それでも収まらずまた買ってしまうのだ。もうこうなると他人が治療してやることはほぼ無理だろう。

治療方法は、自然治癒するまで電線を買い続けさせるか、患者からオーディオの機材とそれに関するものをすべて取り上げてしまうことだ。だが、取り上げてしまうと副作用が強くお勧めできない。できれば患者が安心するような電線を与えるのがよい。

ほらほら、そこのオーディオファンのあなた!電線病にかかってはいませんか?(笑)

さて、ここまで読んで「なんのこと?!」と思われた皆様にすこ~し説明をしておこう。ちょっと大きな電気店のAVコーナーを除いてみよう。○○カメラとかで十分だ。オーディオコーナーの一角に電線(オーディオケーブル)を売っている売り場がある。例えばビデオデッキとテレビを接続するためのケーブルも、数百円から数万円までのものが売られている。スピーカーを接続するようなケーブルも似たようなものだ、安いものは1mで100円から、高いものは1mで10万を超えることも珍しくない。そして、その両者には歴然とした音質の差があるのだ。どちらが良いというのではない、差があるのだ。

さて、この音質の差に悩まされてしまう病気が「電線病」である。極端なことを言うなら手に入る全てのケーブルを試さなければ直らないから恐ろしい(笑)。趣味というのはほどほどにしなさい、ということだろうか。

えっ?私は病気かって?自己診断をするならば、たぶん初期症状ではあろうな。とりあえず必要のないものは購入しない。買うときにはそれなりに高価になってしまうことがあるのもまた事実だが…。

どうよ、これ

暇つぶしにこういうのはいかが?

ザ恋愛インタビュアー – あなたの代わりに1000人にインタビューしてきました

私がときどき行くパスタのお店の入り口に、手相を観てくれる機械が置いてある。100円払って見てくれるのだが、これがなんともおもしろい。ある意味これもまた当たっているようにも思えるし、ぜんぜん違うじゃん!みたいにも思える。

さて、このインタビュー結果も実におもしろい。私のある面を確実に言い当てている。結果はこんな感じ。

絶滅危惧種

どうやら、オーディオ業界から「音を録音する据え置き型の機械」は絶滅しつつあるようだ。なんてこった!

カセットテープデッキの高級品が生産されなくなってからもう何年経つだろう。MDデッキの高級品も生産されなくなったようだ。そして、DATのデッキも生産されていない。どれもこれも今生きているものがなくなったら終わり。

では、SDカードに録音できる高級品は?そんなものはない。HDDに録音できるものもYamahaの1機種だけだろう(あるにはあるが、高級品とは呼べないな)。

ここで言っている高級品は、値段だけではない。音楽を録音/再生するのにふさわしい設計がされていることがなにより重要だ。ICレコーダーではちょっと物足りない。

なぜ録音機が絶滅しそうなのか?言うまでもなく録音する機会が減っているからだろう。録音するといえば、レコードやCDを録音するか、ラジオ(FM放送かデジタルラジオ)を録音するかのどちらかだ。CDはコンピュータを使えば簡単に複製も取り込みも携帯プレーヤーへの転送もできるから、わざわざMDやテープに録音する必要はない。ラジオだって、録音して残しておきたいような番組は悲しいけど減少した。

最近私のシステムでようやくカセットテープもMDもDATもまともに再生/録音できる環境が整った。まさかカセットテープに録音することはほとんどないだろうが、それでも再生することはまだあるかもしれない。少ないとはいえ、FMの録音はそこそこやっている。

これに比べて、ビデオレコーダーは順調に新機種が開発されている。どうやらBlu-Rayに落ち着きそうな雰囲気だ。テレビ番組には録画したいものが多いと言うことだろうか?

どうかラジオ番組の制作者の皆様、その場限りの番組ではなく数年後に聴いても輝いている番組を作ってほしいなと願っている。

ベストを尽くすことの難しさ(話は軽い)

今に始まったことではないのだが、自分が書いたプログラムのソースコードを後から読むと、なんともな気分になるものだ。まずコードが汚い、スタイルとして美しくない。その次に論理的に練り上げられていない。続いて考えが甘い。もっとスマートで計算量の少ない短いコードがあるはずだ。読み返しながら書き換えてしまいたくなることは少なくないのだ。

さて、ではそのときに真剣に仕事をしていなかったのか?たぶんそんなことはない。そのときに最良と思える方法でコードを書いていたはずだ。そのときなりに論理設計もやっていたはずだ。ここが難しい。

最近珍しくまとまったコードを書いている。昨日書いたコードを今日書き直したくなることもある。今朝の作業を、その後の作業をふまえて午後には書き直したくなることもある。むろん今朝はそれがベストだと思っているわけだ。書き直したところで機能的にはなんにも変化しないわけなのだが、単純に論理の問題なのだから。

たぶん、常にベストを尽くしていれば、1年前のベストと今のベストは変化するだろう。これが伸び続けている間はおそらく大丈夫。ちゃんとベストが尽くせているのかな。

技術的なことに興味がある方は続きをどうぞ。

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