知らないことを認めるのは

とりあえず、
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の2007年07月28日のところを読んでほしい。IE7ならば、Ctrlキーを押しながらクリックしよう。

給食の話もそうだが、今日のお題は「パスタ」と「化粧品」のことだ。確かに最近は適当に答えてくれる店員が増えた。

某池袋のカメラやでのこと。電池がほしかった。「えっと、これ容量どのくらい?」って聞いた私に「えっと…、アルカリ電池よりは多いです」とか適当なことを言うのだ。「だからどのくらい?」って聞いてもなかなか答えてくれない。なぜ「ごめんなさい、わかりません」が言えないのだろうか。あるいは、「パッケージには具体的には書かれていません」と言えないのだろうか(ちなみに充電できない電池に具体的容量が数字で示されていることはないようだ)。

私は仕事でコンピュータのユーザサポートをやっているが、知っていることを聞かれることの方が少ない。「ちょっと待ってね、今確かめてみるから」とか「すぐにはわからない、調べてから連絡するね」なんてやりとりは当たり前に行われる。適当に答えていることを相手に悟られることの方がよっぽど怖い。

ではなぜ「パスタ」も「化粧品」も「電池」も、適当な回答をしてしまうのだろうか。なにか社会的な原因があるのではないか?本人の問題だけではないように思うのだが…。

で、この三つの事柄にきちんと対応するには

  • 知らないことを認める
  • 知らないということを、相手に伝える
  • 知っている人に質問する(あるいは自分で調べる)
  • それを理解する(この課程で上記3項目を繰り返さなければならないかもしれない)
  • 理解したことを相手に伝える

となるだろう。どれもけっこうしんどいことだ。どこかの段階でいやな顔をされたり怒られたり(叱られたりではない)したら、それはストレスになるだろう。

そういうストレスを社会は与えていないか?