Mixiからの皆様へ

去年の秋にMixiからの招待状を頂いて、私も遅まきながらMixiのメンバーとなった。このブログもMixiからリンクされている。
Mixiには「足跡」というアクセス記録が残るようになっている。つまり、自分のページにアクセスしてくれた人の記録が残るのだ。とても親しみやすく感じる機能の一つだろう。
さて、この足跡に私の知らない人の記録が残ることがある。いろんな手段で私のページにたどり着いて、私のプロフィールやら日記(このブログ)をご覧頂いているのだろうと思う。うれしいことだ。
さて、そうして私を見つけてくださった方にお聞きしたい。
「あの~、どうやって私を見つけていただきました?よろしければコメントいただけるとうれしゅうございます」
みなさま、仲良くやりましょうや。

道楽はこのくらいで

2週間くらい前に実家から連絡があった。去年渡したレコードプレーヤーがなにやら音が出ないんだとか。ちょうどつきあいのある電気店の人が来たとかで見てもらったのだそうだ。どうやらアンプの問題のようだ。それもそうだろうな。実家にあるアンプはPMA-780というDENONの古いものだ。アンプにD/Aコンバータを内蔵しているというもの。覚えている方はいらっしゃるだろうか。購入してから20年になる。少なくともスイッチ類やボリュームはかなり状態が悪くなっているのではと推測できる。

ということで、一つ適当なものを実家に送ろうかと思っていたのだった。で、これをいいわけにアンプを買い換えようかと思って(上記理由がなくても買い換えたよな、きっと)、気になっていたトライオードというメーカーのアンプを調べてみた。いやはや、おもしろい。どんな音がするんだか。

ちょうど1年前に友人のところで自作の真空管アンプを聴かせてもらった。こりゃ楽しそうだ。音もそうだが自作することそのものが楽しい。いつかは真空管、ということで頭にはひっかかっていたのだった。

さて、購入したのは、
TRV-A300SE
という製品。これは完成品である。それでも真空管を交換したりする楽しみはあるだろう。機能的には現在使用しているものの方が便利だ。なにしろリモコンが付いている。同時に接続できる機器の数も多い。それでもなにやら引かれてしまうのだ。

今年の大きな道楽のつもりで購入を決意することになった。どんな音を聴かせてくれるのか、なんとも楽しみである。某大阪のオーディオショップ曰く、「今よりは必ず良くなりますよ」。さて、どうなりますやら。

セッティングで若干注意しておくことを記しておこう。

真空管の保護用クッションをはずす
届いたときには輸送中の破損を避けるために300Bに緩衝材が巻いてある。はずすのを忘れるとたぶんまずい。熱で溶けるんじゃないかな?手前のカバーを上に持ち上げてはずすと、4本の真空管が確認できる。この奥の2本が300Bだ。手前のが6SN7だ。
スピーカー端子の接続は間違えぬように
このアンプは接続するスピーカーのインピーダンスによって接続方法が違う。端子は3角形が一組になっている。マイナスが3角形の頂点、プラス側がその下二つである。6Ωの端子が電源端子側、8Ωの端子がRCA入力端子側である。左右とも同じ配置だ。
火傷には注意を
真空管は触れば十分に暑い。せっかくカバーが付属しているので使った方がよいかと…。音に影響するかは不明。共振するほど大音量にはできないので、安心できるんじゃないかと思っている。ちなみに今はカバーをかけていない。見せびらかすためだ(笑)。たぶん三日もすればカバーをかけるだろう。

音が出た!8時くらいからごそごそして、ようやく現状復帰。CDプレーヤとHDDレコーダを接続してみた。現在聴いているのはリュートと歌のディスク。ルネサンスのものだ。印象は

  • あれっ?演奏者が近い?!
  • 言葉がはっきり聞こえる
  • リュートの弦の音が美しい

という感じ。オーディオ的にどんな表現をするのかはよくわからない。このアンプは「音が透明だ、柔らかな音がする、小編成の音楽に向いている、ちょっと力感が足りない」なんて言われているが、「そうかいな?!」というのが私の印象。「透明」ってどんなんだろう…。もしこういうのを透明だというのだとすると、今まで聴いていたのはベールがかかっていた、ということになる。こいつなら楽器がどんなことをしてるのかもよく分かるんじゃないかと思う。「柔らかい音」ってどんなんだろう。むしろ実在感のある音だ。「あ~、こんな音録音されてた?」と思えるくらい。このリュートの感触を「柔らかな音」と呼ぶのかな?

とにかく音が出てから2時間。これから一月後にどう化けるかな?

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メモリーは安くなったよな

SDメモリーを一つ購入した。2GBで\7,000くらいである。どうやら最近はこのくらいの値段は当たり前らしい。ちょっと前にデスクトップパソコンに装着する1GBのメモリーを購入した。\13,000くらいである。若干の変動はあるが最近はこんなもんだ。

この記事を読んでいる21世紀になってからコンピュータを使い始めたあなた、Windows XPが初めて使ったOSだというあなた、参考までに15年前のメモリーの値段を紹介しよう。

当時コンピュータに内蔵されているメモリーはどんなに多くても1.6MBであった。そもそもOSでは0.6MBしか利用できなかったし、少しトリッキーな方法を使っても1MBを利用することはできなかった。そこで、もっと多くのメモリーを利用するための方法とソフトが各社バラバラに開発されることとなる。で、コンピュータに内蔵する拡張メモリーが売られていたのだが。これが代替1MBで1万円以上する。要するに今の千倍の値段である。こりゃとんでもない。

1995年に中古の16MBのメモリーを購入したことがあるがこのときの値段は4万円だった。これでもとんでもなく安かった。その後ぐんぐんメモリーは安くなるのだが。

ちなみに1GBといえば、私が初めてハードディスクを単体で購入したときの要領だ。値段は3万円。3万もかけるなら、今なら500GBくらいのものが2台買えるかもしれない。やっぱり当時の値段は千倍だったんだな。

さて、買ってきたSDカードをさっさと使って仕事せねば。

桜は咲かないらしい

今年はなにやらとっても早く桜が咲く、という予想が気象庁から発表されていた。静岡では13日には開花するという予想だったのだが…。

ところが、今日訂正された。なにやら予想をするためのデータに間違いがあって結果が違ってしまったらしい。ここ10年くらいはコンピュータによる計算だけで予想が出されているのだそうだ。人間の感覚や経験といった要素は入っていないらしい。

コンピュータは間違いなく計算をこなす。プログラムとデータに間違いがなければそれこそ人間がどんなに労力をかけてもかなわないようなスピードで計算をこなす。そのためにコンピュータはあるのだから。

ところが、その計算結果が妥当なものであるかを判断する能力は著しく欠けている。コンピュータは人間社会の中で生活したことがないので(そりゃそうだよね)、経験というデータがまるでない。例えばお金が一桁違っていても極端な場合それを検出することができない。だが、人間が見れば一瞬でその間違いに気がつく。

以前から思っていることなのだが、本来人間がやるべき領域にコンピュータを導入しすぎていないか?と最近感じることが多い。もちろん人間だけでは難しいこともコンピュータによってできていることも多い。なにしろコンピュータは計算と記憶は人間ではかなわない。

最近とあるシステムの開発を行っていた。データの登録処理を行うのだが、必ずやらなければならない処理が複数あって、いかにも忘れそうなものばかりである。これをデータを登録するたびに反復しなければならない。人間がやれば必ずいつか手順を抜かしてしまう。ならばとりあえずコンピュータにやらせてしまえばよい。その結果をどう修正するかは人に任せる。

人には人の得意なことがある。もちろんコンピュータにも得意なことがある。これらをどう組み合わせるかがエンジニアの腕であろうなとおもうのだが…。