January 2010 Archives
今年も例年通りセンター試験の試験監督業務を行った。さすがに3年目になると余裕が出てくる。体力以外は。センター試験を実施する側から見た、センター試験の実態を書いてみようと思う。ちなみにブログ"発声練習"の記事は参考になる。受験生は必ず読むべきだ。
センター試験を引き受けた大学で、試験監督をやっている人は、ほとんどがその大学の教職員だ。大学から見た受験生は基本的にお客様だ。少なくとも敵ではない。基本的に受験生が通っている高校の近くの大学が会場に選ばれるため、センター試験を受験しにきた学生が、その大学の受験生になる可能性があるからだ。また、センター試験で大きなミスをすると新聞に載るので、大学広報を始め結構神経質になっている。だいたい新聞に載るような不祥事は、試験時間が短かったり長かったり、非常ベルが鳴るといった試験を妨害するような騒音が発生したといったものだ。
大学入試センターから、厚さ2cmほどのマニュアル兼台本が渡される。試験監督が試験中に発する言葉には、実は台本がある。この台本どおりに台詞を発しないとなにかと問題になる。試験時間は秒単位の精度が要求されている。試験開始前に試験監督は全員電話の時報サービスで時計合わせをやる。試験時間の誤差は高々10秒だ。短くなることはない。また足音やドアを開く音にも気を使っている。騒音と試験時間確保には相当気を使っている。
試験の流れを書いておこう。
- まず試験会場、試験室、席が正しいか確認する
席には受験番号が記された紙が貼ってあり、受験票に記載されている受験番号と一致するか確かめてもらう。これが終わるとその教科の試験終了まで部屋を出ることができない。 - 携帯電話のアラーム等を解除、電源OFFの後、かばんにしまってもらう
試験中に携帯電話が鳴った場合、試験監督は受験生の許可を得ずに、かばんを持ち出し、試験場本部に運ぶ。かばんは試験終了後、受験生に返却する。 - 写真用シールを配布する
その科目が初めての受験の場合、受験票の写真および自署欄の上に貼るシールを配布し、貼ってもらう。 - 問題冊子および解答用紙の配布
- 受験番号の記入とマーク
- 氏名、フリガナ、試験場コードの記入
- 受験科目のマークおよび確認
- 「解答始め」
- 試験終了10分前に「試験はあと10分で終了します」
- 「解答やめ。問題冊子を閉じて鉛筆をおいてください」
この後許可なく鉛筆や消しゴムを持っていると不正行為になる。 - 解答科目と受験番号を正しくマークしているか確認
この確認で間違いを発見した場合、訂正することができる - 再度、解答科目と受験番号を正しくマークしているか確認
この確認で間違いを発見した場合、訂正することができる。これ最後の確認になる。これ以降、受験生も試験監督者も解答用紙に筆をいれることはできない。 - 解答用紙の回収
試験終了後の確認はマークだけであることに注意してほしい。採点は、全自動で機械で行われるため、マークだけで十分なのだ。氏名と受験番号を書かせるのは何か問題が起こった時の保険でしかない。なのでマークを間違えないように特に注意してほしい。 また試験時間中、試験監督は受験者の出席を取っており、試験場本部に解答用紙を渡す時も一枚一枚出席票(A票)と解答用紙の番号を照合している。
試験監督をしながら、受験生諸君を見ていて感じたことも書いておこう。
- 現役生の諸君は、制服で受験する必要はない。
私たちは、諸君らの制服姿を見たいのではない。君たちの最高のパフォーマンスを見たいのだ。だから自分の力を出せる格好できてほしい。そして試験室の室温は細かく制御することはない。試験室の静寂の確保を求められているため、試験中は空調を止めることもある。重ね着や服を脱ぐことで、体温を自分でコントロールできるようにしておくこと。これ重要。 - 試験監督の目を気にする必要はない
服装や髪型が派手だったり奇抜だったりすると、監督者控え室で話のネタになるかもしれないが、まぁその程度だ。我々に与えられている受験者の情報は、氏名と写真と受験番号だけだ。点数や入試の結果に影響はない。もしも影響させようものなら、公平性の観点から大変な問題になる。 - きれいにマークする必要はない
センター試験の出願者は50万人を超える。実際の受験者は出願者よりも1割ほど減るがそれでも40万人は受験する。1人当たり平均3科目受験するとすると処理する解答用紙は100万枚を超える。これだけの数を短期間で採点するにはもちろん機械を使う。すなわちあなたの解答用紙を人が見ることはまずない。機械がちゃんと判別できる程度に塗れば良い。 - メモ用のシャープペンシルは使うな
試験中机の上におけるモノとして、「メモ用のシャープペンシル」があるが、シャープペンシルでマークシートを塗ることもできる。だがマークシート読み取り機のメーカーがFかHかHBの鉛筆を推奨しているために、鉛筆を使えと指示している。すなわちシャープペンシルでは読み取れない可能性があるために、あえてメモ用と断ってあるのだ。読み取れない可能性があることを承知で使うのであれば黙認することになっている。私は鉛筆を使うべきだと思う。おすすめは三菱鉛筆のHi-Uniか、ステッドラーのルモグラフだろう。ステッドラーならマルス エルゴソフト良いかも。これらは鉛筆としては高い部類に入る(1本140円はする)が減りも少ないし、手にもしっくりくる。また格言も書いていない。試験中には鉛筆削りが使えるので、2〜3本買えば十分だろう。マークシートと筆記具については、DPZの記事に詳しい。
この記事を書いた目的は、受験生諸君の最高のパフォーマンスを出してもらうために、センター試験を実施しているほうも結構大変だということを知ってもらうためだ。もしもこの記事が、これからセンター試験を受験する人の役に立てば望外の喜びだ。
ってかタイトル書いて実感したけど、2000年期ってもう10年経ったんやねぇ。21世紀になると何かが変わると特に根拠もなく何となく思ってたけど、21世紀になって9年経っても、昨日と同じ今日を生きている俺に乙。
今年の正月三箇日は、元日に姉上夫妻が来て甥っ子相手をして写真を撮って、二日にgichoが開いた店にお邪魔して、朝まで飲んでいた。その前にYokko家にお邪魔してYokko/TQの第一子と対面。よく泣きよく眠るという。すばらしい。写真はFlickr経由で。> TQ, Yokko
その後gichoが開店した店で、Have, TQ, chiranoと呑む。基本的に味は良い。こまかい工夫は各々あってぐっとくること満載なのだが、特に燗をつけた梅酒はすばらしい。そのまま呑むとスキっとした梅酒なのだが、燗をつけたとたんフルーティな梅酒になる。もちろんこれだけではない。一皿一皿にこだわりや工夫の点が見える。 店自体のFundermentalsはありそうだ。実際リピート率も高いと聞く。あとは知名度がないのが問題か。
Web上にあるオープンコミュニティの力を感じるのはこういうときだ。ひとつの分野(この場合は飲食店)に特化したオープンコミュニティが存在し、一定数の読者がいるサイトがある。ここに私が他の人に勧めたい店があると、そこに記事を書くことでこのblogに書くよりも目に触れる機会があり、iPhoneやGoogle Phoneを使えばGPSとリンクして近くにある飲食店のリストが出てくる。これは紙媒体の雑誌やガイドブックにはできない芸当である。(紙媒体にはザッピングという用途があるのでなくなるとは思わない。まぁこれは別の記事に書くことにする。)ということで、好意的だろうが、批判的だろうが、ハラヨシに行った人はちゃんと自分のblogはもちろん、食べログ的なところにも記事を書くように。これがgichoにできる最低限の応援だろう。
ネットワークによって庶民が得た力というものは、今のところこういうところなのだろう。一部のアルファブロガを除いて、庶民は多数集まることで力を持つ。ネットワークやWebという媒体を通して集合するコストがゼロに近くなる(少なくとも集合する庶民にとってコストはゼロに近い)ことによって集合することによる障壁が小さくなり、また(みせかけの)匿名性という要素もあり自分の意見を表明することができる。
残念ながらこのblogでは一日あたり10PV程度がせいぜいだ。そのほとんどは技術的な記事へのアクセスだ。このblogによって私はサイバースペースへの発言権を得たがその力は小さい。だがその小さい力を集合することで大きな力にしようとしたサイトが存在することにより、私のこの小さな声は、時に大きな声になる可能性がある。この構図はblogだけでなくLinuxといったオープンソースコミュニティにも通じるものがある。
だが同時にサイバースペースにアクセスする者どもは、言うまでも泣く煽り文句満載の情報を峻別する能力が要求される。私が食べログに書くであろう記事は、中立であろうと努力はするが、所詮偏ったの記事である。それに騙されるかどうかは、読者次第である。まぁ騙されたと思って行って見ても良い店だと思うが。同じことは報道にも言える。自民政権だろうが民主政権だろうが国民は文句を言っているけれども、一方では報道も腐っていると言っている。果たして腐った報道から得た情報で、現政権はもちろん前政権も批判はできるのだろうか。
人は低きに流れる。
自戒をこめて。

